アトリエ泉南石綿の館

アトリエ泉南石綿の館

見出しテキスト

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず

2019年4月20日 開館

故梶本政治医師
故梶本政治医師
イラスト:さあ往診だ
さあ往診だ

「アトリエ泉南石綿の館」に入ると、正面にこの絵が掲げられています。この絵は、館長の梶本逸雄氏が「写真がないので、往診に出かける父を描いてほしい」と中村千恵子さんに依頼して描かれたものです。

竹中泉南市長・水野阪南市長による除幕式

当地、泉南市信達牧野で石綿の危険性を告発していた開業医 故梶本政治医師(写真)の診療所跡地に小さな石綿資料館を開設。

開設したのは、梶本逸雄氏(故梶本政治医師の長男)。

梶本政治医師 略歴

1913年5月2日
堺市にて出生
1923年3月
泉南郡信達町に移住
  • 岸和田中学(現 府立岸和田高校)
  • 大阪高等学校
  • 大阪帝国大学医学部
  • 布施教授の下で内科専攻
  • 陸軍の軍医として勤務
  • 朝鮮にて勤務
1940年12月
永橋タミヱと結婚
1942年
長女 螢子 生まれる
1945年
次女 文代 生まれる
1947年9月
朝鮮より帰国
1947年9月
大阪大学理学部小竹無二雄研にて、肺結核の治療薬を研究
1948年
長男 逸雄 生まれる
1951年
次男 晶造 生まれる
1952年
医学博士
1953年
阪本紡績内科診療所で約1年勤務
1953年
自宅にて内科開業

(休診日の毎週水曜日に大阪大学医学部図書館に通う) 石綿肺の研究

1994年1月30日
自宅で亡くなる

展示について

1. 故梶本政治医師(1913~1994)

石綿村と呼ばれたそのまっただ中で、「石綿は危険だ!病気になる」と訴え続け、行政や企業、研究者などに手紙を送り続けました。
そのうち、1通は公害問題の第1人者と言われる宮本憲一名誉教授に。

この手紙を宮本憲一氏は「アトリエ泉南石綿の館」まで持ってきてくれました。

展示は、梶本政治医師が使っていた顕微鏡、血圧計、往診時に使った帽子、海外から取り寄せた大量の文献や雑誌の一部。

梶本政治医師から宮本憲一氏への文書
梶本政治医師から宮本憲一氏への文書
梶本医師の帽子
梶本医師の帽子
血圧計と顕微鏡(ドイツ製)
血圧計と顕微鏡(ドイツ製)
海外から取り寄せた文献の一部
2. 「石綿村」で使われていた原料(石綿原石)、製品(石綿糸、リボン、石綿布)等を展示。
3.泉南アスベスト国賠訴訟関係の資料

国賠訴訟を闘った原告の人たち。

映画「ニッポン国VS泉南石綿村」(原一男監督作品)DVDなど。

活動拠点

「アトリエ泉南石綿の館」が「泉南アスベストの会」の活動拠点になっています。

来館歓迎

宮本憲一名誉教授(中央左側) 来館 2019年11月30日

来られる方は、事前に

梶本 090-7968-0395
または、
志野 090-8126-6333
に連絡を下さい。

お問い合わせ