泉南石綿の碑公園

石碑公園

泉南石綿の碑

「泉南石綿の碑」は2015年4月19日に建てられました。

「碑」は泉南のアスベスト被害者が国を相手に闘った裁判で勝利した後、作られた記念の碑です。石は徳島・吉野川の「阿波の青石」。

作ったのは次の4団体。

  • 泉南のアスベスト国家賠償請求訴訟原告団
  • 泉南地域の石綿被害と市民の会
  • 泉南のアスベスト国賠訴訟を勝たせる会
  • 大阪アスベスト弁護団

 

「泉南石綿の碑」に込められた思い

この地で石綿の事業を興し、石綿に関わって生活してきました。憎むべき悪魔のような石綿ではあったのですが、それだけではありません。この地に生き、死んでいった者たちへの住民の複雑な感情を、この『泉南石綿の碑』の6文字に込めているのです。

そして、泉南の地で深刻なアスベスト被害があったことを風化させないため、すべてのアスベスト被害根絶の願いを込めて。

句碑
句碑

新緑を
吸い込みいや増す悲しみぞ
息ほしき人のあるを知るゆえ

柚岡 一禎

泉南地域にあった主な石綿工場の分布図
泉南地域にあった主な石綿工場の分布図

「泉南石綿の碑」由来

大阪府泉南地域は、明治末から100年の石綿紡織産業の歴史がある。産業の歴史はすなわち被害の歴史でもあった。
国は、実態調査を行い、被害が深刻なことをつかんでいた(1937年)。地元に石綿は危険であると警鐘を鳴らし続けた医師もいた。が、国は、経済成長を優先し、有効な規制・対策を行わずこれを放置した。

2006年5月。被害者と遺族が国の責任を問う国家賠償を提訴。
敗訴判決にも遭遇し、困難もあったが、2014年10月9日最高裁は国の責任を認める判断を下した。
8年半に及ぶ裁判の勝利を記念し、無告無念のうちに逝ったものたちの鎮魂と石綿被害の根絶の願いを込めて「泉南石綿の碑」を建立した。

帰らぬ母に

作者は、柚岡一禎さん。

石綿紡織100年。大勢の人が理由もわからず、知られることもないまま亡くなりました。
この詩を犠牲になった人々に捧げるとともに、アスベスト被害のない社会の実現に向けて、力を合わせることを誓います。

泉南のアスベスト裁判原告一同

フジ棚

2019年4月にフジ棚が完成。フジを奥の両端に植える。

どちらも「野田フジ」。

2021年4月7日(2年で棚いっぱいに広がった。)

2021年4月20日