水俣 スタディツアー 2022/11/12-13

水俣協立病院屋上で中山さんの説明を聞く  後方の工場はチッソ(JNC)
水俣協立病院屋上で中山さんの説明を聞く  後方の工場はチッソ(JNC)

ミナマタの被害者の声を聞き、資料館などで勉強して、産業優先の国の施策が不知火海一帯の被害を大きくしてきたことがよくわかりました。そして、被害者を全面的に救おうとしない行政、加害企業に対して怒りが込みあがりました。

悪魔の判決;「厳しすぎる規制は、産業の発展を阻害する!」として全面敗訴だった泉南国賠Ⅰ陣高裁判決を思い出させた今回の水俣ツアーで、ミナマタの被害者の皆さんと思いを共有でき、貴重な体験ができました。

行程

11/12(土) 新水俣集合 ―― 水俣協立病院屋上(チッソの位置関係)―― チッソ工場周辺見学 ―― 百間排水口 ―― 水俣湾埋立地 ―― 水俣病犠牲者慰霊碑 ――

― 水俣市立水俣病資料館 ―― 「きぼう・未来・水俣」事務所 ―― ホテル ――

― 交流会

11/13(日) 水俣病歴史考証館(水俣病センター相思社) ―― 車中でTV「断罪の核心」上映 ―― フェリー ―― 水俣病不知火患者会、ノーモア・ミナマタ訴訟原告団と交流

―― フェリー 長崎県口之津港へ ―― 雲仙温泉 

11/14(月) 雲仙温泉 ―― 諫早湾 潮受け堤防・排水門 通過 ―― 長崎平和公園 ―― 長崎市原爆資料館 ―― 大浦天主堂 ―― 長崎駅で解散

水俣の行程は、中山裕二さん(水俣病被害者の会)に構成していただきました。

1. チッソの位置関係

水俣協立病院 手前は国道3号線

水俣協立病院は、国道3号線を挟んでチッソと対峙している。

 1978年建設された。この建設運動に水俣病患者が参加。民間

の医師団(水俣病県民会議医師団)の現地拠点でもある。

2. 排水経路をたどる 

百間排水口   チッソ工場の排水口の一つ。

 ここから汚染水が流れ出し水俣湾を高濃度に汚染した。

3. 水俣湾埋立地

浚渫した汚染土で埋め立て、その上を山土で覆う・・・エコパーク水俣

その一角に水俣病犠牲者慰霊碑。

水俣病犠牲者慰霊碑前で

4. 「きぼう・未来・水俣」事務所訪問

「水俣病から宝物を伝えるプログラム(胎児性水俣病患者さんたちの取り組み)

説明をされた加藤タケ子さん。(ホットハウスの施設長)
胎児性水俣病患者の皆さんと

5. 交流会

居酒屋で交流・・・マテ貝初めて食べた・・・

6. 11/13 水俣病歴史考証館(水俣病センター相思社)

永野三智さん 熱弁を振るう。近々泉南を訪問したいとのことでした。

7. 車中でTV「断罪の核心」上映

 素晴らしい裁判官がいた!(1987年3月の裁判判決は、義憤を感じた正義の人 相良裁判長による。)

8. 水俣病不知火患者会、ノーモア・ミナマタ訴訟原告団と交流

天草教育会館
歓迎のあいさつ 岩崎明男会長(水俣病不知火患者会会長)

パワーポイントを使って「取り残された水俣病の被害者たち(天草編)」を説明された。

 今回の訪問は、水俣市の対岸の天草市。美しいところだった。この地域は、不知火海に面しているが、2010年に施行された水俣病被害者特措法では、この天草市は対象地域外にされた。今回訴訟で闘う人たちは、この救済から取り残された人たち。

 国と県の対応は問題だらけ。特措法の申請期間は2年たらずであり、県の検診がずさんで、同じ食生活と同じ症状をもちながらも検診さえ受けられずに切り捨てられるなど、多くの問題があった。水俣病被害者の救済に向けてその前段ともいえる住民健康調査が法に明記されたにもかかわらず、国は13年たった今でも実施していない!

「国は、知っていた、できた、しかし、やらなかった」という構造は、泉南アスベスト国賠と水俣問題とはおなじ構造である。(村松昭夫弁護士:大阪アスベスト弁護団団長)
「開業医の父はアスベストの危険性を告発し続けた。その遺志を継いで父の遺品とアスベスト関係のものを展示し資料館を開設した。」アトリエ泉南石綿の館 館長 梶本逸雄さん(泉南アスベストの会事務局長)
「私たちは国の責任を認めさせたが工場の外側:環境問題は残されている」元原告 山田哲也さん
「私も石綿の患者ですが、胎児まで被害を受けるひどい水俣の現実に涙を抑えることができませんでした。」元遺族原告 松島加奈さん
「原告だった私の母は、1陣高裁判決の日の朝早くに亡くなりました。その日、勝利を信じて入った法廷で、下されたのは私たち患者の訴えを全面的に退ける判決でした。」元遺族原告 武村絹代さん
「魚が主食の生活。30歳くらいから手の震えと指の引きつけがひどくなり、真珠の養殖の作業がうまくできなくなりました。一粒の真珠を育てることが私の生きがいでした。家事もうまくできない・・・・。」被害の苦しみを話す中村房代さん(中央)
「この本「アスベスト絵伝」を後でじっくり読ませていただきます。」

 「アスベスト絵伝」の中に何度も出てくるように、水俣病訴訟の皆さんのご支援を私たちの訴訟は受けてきました。ノーモア・ミナマタの前会長大石さんは、泉南まで来てくれました。そのとき、私たちの目の前で唐辛子を食べて、辛さを感じないのです。と言われたこの場面を、今でも思い出します。

 今回のツアーで、水俣の被害の大きさを実感しました。不知火海の広さや胎児性水俣病患者さんのことなど、やはり現地でないとわからないことがたくさんありました。そして、泉南のアスベスト問題との共通性:(国は知っていた、できた、やらなかった。 水俣では、国だけでなくチッソも、わかっていて流し続けた。)もよくわかりました。

 (イタリアでは、エタニット社役員がアスベスト問題で、刑事責任を問われた。結果的には最高裁で時効による無罪判決が確定したが、一審では懲役16年、二審では懲役18年の実刑が言い渡されていた。)

 アスベスト問題も水俣病問題も終わっていません。

 今後も、交流を続けられればと思います。

 中山裕二さん(水俣病被害者の会 事務局長)と岩崎明男さん(水俣病不知火患者会 会長)に、我々の念願であった水俣・天草体験ツアーが、お二人の多大なるご協力により実現出来ましたことに感謝申し上げます。

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