
大阪アスベスト弁護団から依頼があり、司法修習生研修「公害環境問題の現場を歩く…アスベスト被害の原点・泉南アスベスト国賠訴訟に学ぶ」を受け入れました。
9:00 事務局スタッフ7人全員集合。まず、暖房!そして、設営。
10時過ぎ、弁護士と修習生15人が到着。 前に掲げられた看板の大きさにびっくりした人も。
10:30 歓迎のあいさつ 梶本逸雄事務局長
谷真介弁護士が講義
- アスベストとは
- 石綿関連疾患と被害実態(ここで後述の元原告、元原告遺族の報告)
- 「泉南アスベスト国賠訴訟 裁判の内容と経過」

岡田陽子さん(元原告)の話
- 今、私はアスベストのために肺機能が落ちて、お風呂には腰くらいまでしか入れない。それ以上になると水圧と湯気で咳き込むから。
- こんな病気になったのは、赤ちゃんの時に母の働くアスベスト工場の中で育ったから。おとなしい子だった。母は、私の体がこんなになったことに責任を感じ、悔いて泣いていた。
- 裁判では、アスベスト関連の労働者でなかったから、真っ先に損害賠償からはずされた。
- 病気になって看護師をやめざるを得なかったがアスベスト関連の補償は全くなく、生活は困窮した。
武村絹代さん(元原告遺族)の話
- 母が呼吸困難で週に何度も救急車で運ばれるようになった。とにかく原因がわからなくて苦労した。
- 母が裁判の最中に亡くなった。1陣高裁の判決の日だった。その日の判決は全面敗訴!
- 被害者に寄り添う司法関係者になってほしい。
山田直美さん(元原告遺族)の話
- 義父は、石綿工場で現場9年、同敷地内で事務職で18年働いた。その後病気になり、腹膜中皮腫の診断であった。
- ものすごく痛そうで顔を見るのもつらかった。

昼食・・・ほか弁850円、温かい豚汁、お茶、コーヒー、おつまみ・・・ほか弁以外は「会」からのおもてなし。とても寒い日だ ったので、特に温かい豚汁は喜ばれました
フィールドワーク

泉南石綿の碑前で説明する志野善紹さん

アトリエ泉南石綿の館で説明する梶本逸雄さん

男里川の橋の上で「石綿村」の説明をする柚岡一禎さん

元農地であったところで作業をしていて石綿肺に罹患した父の話をする南和子さん(元原告遺族)
- 今はマンションのところが、アスベスト工場。敷地いっぱいに工場があった。そのすぐ横で父は農作業をしていた。
- 父は石綿肺で亡くなった。
- 裁判では、父の仕事が石綿関連の仕事でなかったということで真っ先に損害賠償からはずされた。
- 石綿の環境曝露でも被害がでることを知ってほしい。