司法修習生実地研修 2026/1/30

今年も司法修習生「公害環境問題の現場を歩く…アスベスト被害の原点・泉南アスベスト国賠訴訟に学ぶ」の実地研修を受け入れました。修習生は9名。

午前中は、講義。

★ 江藤深弁護士・・・「石綿とは」「石綿関連疾患について」

      具体事例を元原告二人が発表

① 遺族原告 武村絹代さんの発言。

アスベスト被害者は 私の母 原田モツです。
1970〜1983  13年間親和石綿工業所で働いていました。リングやインターなどの作業に従事し大量の石綿暴露を受けました。
 1984年前後ぐらいから風邪を引くと咳や痰がひどくなり治りにくくなっていき、肺炎で入院したり、息切れの症状が悪化する一方になりました。
 2003年ごろから呼吸困難の為歩くのも不自由で車椅子を使用するようになりました。
 2006年9月医療生協阪南診療所受診。

11月石綿肺及び続発性気管支炎の診断結果。やっと自分の病気病名が分かった瞬間です。
 2007年 1月 健康管理手帳の交付を受けじん肺管理区分2、続発性気管支炎(要療養)
の決定を受け3月労災認定されました。22年間!病名が分からなかった間の母は、こんなに苦しいのに誰も分かってくれへんと、娘である私にやつ当たりする事しばしばありました。
 私も根負けして 暴言なんか吐かれたら(早よ 死んだらええのに)なんて思ったりしたものです。病気がそう言わせるし、介護疲れが 思っても無い事を思わせるし、ほんと‼️辛かったですねー。
 母は高裁判決の日朝方80歳の人生を終えました。
 母は人生楽しい時があったのだろうか?
晩年は病魔との戦いで、息ができない、苦しいの連発で、国がもっと早く危険性を言っていたら、石綿使用禁止が早かったら被害者も今よりは少なかったのではないでしょうか?
 2014年  8年半の長い年月の末勝訴はしましたが、一緒に戦った人達が次々に亡くなっていく様を目の当たりにして、政治家のみなさんや 裁判官は 事の重大さをしっかりと見極めて欲しかったと今でも思います。

② 2陣遺族原告 山田直美さん

義理の父は三好石綿で1950年から29年間働いていました。 
2001年春頃ハイキングで酷い息切れ…体調不良の為検査…胃潰瘍、結核疑い
2002年1月再検査入院で肺がんの疑い。
2002年2月胸膜炎の診断。約半年後散歩も困難になり、お腹周りが膨らむ。
2002年10月に入院11月に悪性腹膜中皮腫の可能性が高い、それだと予後半年と診断。石綿が原因と疑われ、それで労災手続きを。私たちは中皮腫について調べたけど悪いことばかり書いてあり落胆しました。労災の手続きをするのに労働基準局に何度か通い手続きができるようになり、父も安心し、母もほっとしていました。 2003年1月病状は悪化し、腹水がパンパンに溜まりその腹水を抜くと楽になるのですが、栄養分も一緒に排出されるので徐々に食事もとれなくなりやせ細っていきました。
 2月に入ったころ母は病院に泊まり込みで看病を始めました。私たちも頻繫に病室に訪れました。時間に関係なく過ごしていても病院は何も言わず配慮してくれていたようです。
 3月に入った頃には、横になって寝ることもできず座ったままでした。腹水の量も減り色は濃くなっていき、胆汁も頻繫に嘔吐し、お腹の痛みも増し、父は、お腹の中を竹槍で突かれるみたいや、と顔をゆがめていました。
 3月下旬初めて父が弱音を言ったそうです。それから1カ月後の2003年4月27日70歳でなくなりました。
 母も同じ職場で2年間働いていたので、2005年呼吸器センターで検査を受けたら胸膜プラークがありました。それで、2010年泉南国賠2陣原告になりました。

★ 村松昭夫弁護士・・・「泉南の国賠訴訟について」

昼食懇談の後、フィールドワーク(アトリエ泉南石綿の館、泉南石綿の碑、石綿村と呼ばれたあたり、栄屋石綿跡地横の水車あと、三好石綿隣接地での農作業者の被害)

アトリエ泉南石綿の館で説明をする館長の梶本逸雄さん

アトリエ泉南石綿の館で説明をする館長の梶本逸雄さん

泉南石綿の碑の前で

泉南石綿の碑の前で

男里川の橋の上で。川沿いに石綿工場の建屋が残る。

三好石綿跡地横で。石綿工場の隣接地での農作業者の被害について熱弁をふるう南和子さん。
石綿の環境曝露でも被害が出たことを知ってほしいと。

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