「司法修習生の研修を受け入れてくれないか」と村松昭夫弁護士から依頼され、私たちは泉南アスベストの会として受け入れることを決めました。
弁護士や裁判官、検事になっていく人の研修の一つにこの泉南の闘いが選ばれたことは、私たちにとって本当にうれしいことであり、光栄なことでした。
10月7日、この日はあいにくの雨。朝10時半から夕方4時半過ぎまでの日程でした。
「アスベスト被害の原点・泉南アスベスト国賠訴訟に学ぶ」を、当弁護団の小林邦子弁護士と谷真介弁護士が担当され、アスベストとはどんなものかから始まり、被害の実態、泉南アスベスト国賠訴訟、建設アスベスト訴訟など当時の模様と現在の問題点を熱く語られました。
この研修の中で私たち泉南アスベストの会が担当したのは、元原告のお話のセット、石綿の碑とアトリエ案内、泉南のアスベスト工場はどんなところにあったのか現地の案内でした。
アスベスト粉塵の舞う工場(母の仕事場)の中で育てられたため、酸素ボンベが離せなくなった生活、そして、裁判では労働者でなかったことから除外されたことを話しました。
大阪高裁判決のその日に亡くなった母の遺影を持って法廷に入ったが、判決は何と全面敗訴だった。
母の病気がアスベストが原因だとなかなかわからなかったと語りました。
スナップ写真を見せて、日常の生活の中にアスベストがある、そういう地域だった。何にも知らんかったから。
原告の夫と一緒に働いた工場の中には大量のアスベスト粉塵があり、会社をやめた後整理に3年もかかったと話しました。
その後、泉南でのフィールドワークとして、マイクロバスに乗って泉南石綿工場跡地、三好石綿跡地などを回りました。
司法修習生のみなさんは、すでに石綿紡織工場がない中で、理解するのは難しかったと思われますが、元原告のお話や支援者の話をよく集中して聞いてくれました。