司法修習生の実地研修(実務修習プログラム)を受け入れて 2022/10/2

牧野老人集会所にて

「司法修習生の研修を受け入れてくれないか」と村松昭夫弁護士から依頼され、私たちは泉南アスベストの会として受け入れることを決めました。

弁護士や裁判官、検事になっていく人の研修の一つにこの泉南の闘いが選ばれたことは、私たちにとって本当にうれしいことであり、光栄なことでした。

10月7日、この日はあいにくの雨。朝10時半から夕方4時半過ぎまでの日程でした。

「アスベスト被害の原点・泉南アスベスト国賠訴訟に学ぶ」を、当弁護団の小林邦子弁護士と谷真介弁護士が担当され、アスベストとはどんなものかから始まり、被害の実態、泉南アスベスト国賠訴訟、建設アスベスト訴訟など当時の模様と現在の問題点を熱く語られました。

この研修の中で私たち泉南アスベストの会が担当したのは、元原告のお話のセット、石綿の碑とアトリエ案内、泉南のアスベスト工場はどんなところにあったのか現地の案内でした。

元原告のお話(岡田さん)

アスベスト粉塵の舞う工場(母の仕事場)の中で育てられたため、酸素ボンベが離せなくなった生活、そして、裁判では労働者でなかったことから除外されたことを話しました。
元原告のお話(岡田さん) 
アスベスト粉塵の舞う工場(母の仕事場)の中で育てられたため、酸素ボンベが離せなくなった生活、そして、裁判では労働者でなかったことから除外されたことを話しました。
元原告のお話(武村さん)

大阪高裁判決のその日に亡くなった母の遺影を持って法廷に入ったが、判決は何と全面敗訴だった。
母の病気がアスベストが原因だとなかなかわからなかったと語りました。
元原告のお話(武村さん) 
大阪高裁判決のその日に亡くなった母の遺影を持って法廷に入ったが、判決は何と全面敗訴だった。
母の病気がアスベストが原因だとなかなかわからなかったと語りました。
元原告のお話(松島さん)

スナップ写真を見せて、日常の生活の中にアスベストがある、そういう地域だった。何にも知らんかったから。
原告の夫と一緒に働いた工場の中には大量のアスベスト粉塵があり、会社をやめた後整理に3年もかかったと話しました。
元原告のお話(松島さん) 
スナップ写真を見せて、日常の生活の中にアスベストがある、そういう地域だった。何にも知らんかったから。
原告の夫と一緒に働いた工場の中には大量のアスベスト粉塵があり、会社をやめた後整理に3年もかかったと話しました。
泉南石綿の碑の前で、憎むべき石綿であるが、この仕事で生活を支えてきた石綿でもあることなどを説明する志野さん
泉南石綿の碑の前で、憎むべき石綿であるが、この仕事で生活を支えてきた石綿でもあることなどを説明する志野さん。
アトリエ泉南石綿の館の中で、展示の説明や、この地で開業医だった父・梶本政治氏が石綿の危険性を訴え続けたこと、このアトリエを拠点に裁判勝訴後も被害者の掘り起こしや建設アスベスト訴訟支援を行っていることを話す梶本館長さん。
アトリエ泉南石綿の館の中で、展示の説明や、この地で開業医だった父・梶本政治氏が石綿の危険性を訴え続けたこと、このアトリエを拠点に裁判勝訴後も被害者の掘り起こしや建設アスベスト訴訟支援を行っていることを話す梶本館長さん。

その後、泉南でのフィールドワークとして、マイクロバスに乗って泉南石綿工場跡地、三好石綿跡地などを回りました。

男里川にかかる橋の上から、石綿村と呼ばれた場所の説明をする柚岡さん。
三好石綿跡地から当時の石綿粉じんの飛散について、農地だけでなく幼稚園まで白い粉が飛んで積もっていたこと、そして、農作業をしていた父が石綿肺で亡くなったこと、裁判では環境問題は扱われず、問題として残っていると話した元原告南さん。
三好石綿跡地から当時の石綿粉じんの飛散について、農地だけでなく幼稚園まで白い粉が飛んで積もっていたこと、そして、農作業をしていた父が石綿肺で亡くなったこと、裁判では環境問題は扱われず、問題として残っていると話した元原告南さん。

司法修習生のみなさんは、すでに石綿紡織工場がない中で、理解するのは難しかったと思われますが、元原告のお話や支援者の話をよく集中して聞いてくれました。

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